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3月30日金曜日 みその日

   味噌の日

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毎月30日は、「みそか=三十」の語呂合わせで、

『みその日』という記念日です。

日本には、古代から草醤(くさびしお)

穀醤(こくびしお)

宍醤(ししびしお)

「醤(ひしお)」と呼ばれる調味料がありました。

大陸との交易が盛んな奈良時代には、

中国の技法が取り入れられるようになり、

昔からある醤に改良が加えられ、

いろんなパターンの醤が造られるようになります。

中国から伝わった技法で改良された醤を「唐醤(からびしお)」。

朝鮮から伝わった技法で改良された醤を

「高麗醤(こまびしお)」と呼んでいたそうです。

平安時代の都の市には、

東の市には唐風の醤を売る「醤屋(醤油屋)」があり、

西の市には高麗風の醤を売る「未醤屋(味噌屋)」が

あった事が記録されています。

このころは味噌とも醤油ともつかない時代がしばらく続きました。

そして鎌倉時代の建長年間(1294年~55年)に、

宋(中国)に渡った僧侶によって新たな技法が伝えられ、

お味噌は変化をします。

信州(長野県)の僧侶「覚心」は、

宋の径山寺(きんざんじ)というお寺で、

そのお寺独特のお味噌に出会います。

お味噌の技法をマスターして帰国・・・その後、

紀州の興国寺で、その造り方を後輩僧侶に教えます。

それが、『金山寺味噌』だと言われています。

室町時代は自給自足の意味もあって、

お寺の中でお味噌造りが盛んに行われておりました。

やがて、もっともっと盛んになったお味噌造りは、

お寺から売り出されるようになり、寺院の収入源の一つとなっていきます。

そして、僧侶から公家へ、

公家から武士へと広まっていき、

合戦時の非常食としても重宝されるようになるのですが

一般庶民の口に入るようになるのは、やはり江戸時代頃からです

第二次世界大戦以前の日本では、お味噌は、

買う物ではなく自宅で造る物。

それぞれの家庭の味を自慢する物でもありました。

ちょっとした自慢話をする時に「手前みそですが・・・」

というんですね。

この時の「手前」というのは、

「自分の」あるいは「ウチの」という意味です。

   ~~~********~~~
先日、地元新聞新潟日報さんに

いつも松屋が使っている醤油屋さんマルカク醤油の

すいかの味噌漬けが紹介されていました。

上の写真が記事とそれです。

新聞に紹介されて、忙しさが3倍ほどになったそうです。

ところで、

味噌と言えば、

越後の人は「関興庵の味噌なめたか」

という言葉を思い出されるかたも多いと思います。

大河ドラマ「天地人」で、

「わしはこんなとこきとうはなかった」の

名ゼリフで子役として、一世風靡をした

加藤清四郎君、覚えていますか?

その舞台となったのが雲洞庵。

関興庵と雲洞庵はどんなところ?ホームページをご覧ください

http://www2.ocn.ne.jp/~kankouji/

http://www.untouan.com/article/13332116.html

http://www.untouan.com/

これから雪もなくなり、

春の山草が美しく咲く季節になります。

どうぞ、また越後の旅へとお出かけ下さいませ。
by matsuya12 | 2012-03-30 10:38


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